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山形地方裁判所酒田支部 昭和46年(ワ)6号 判決

原告 被相続人亡山村省三訴訟承継人 山村すゑの

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 津田晋介

被告 小田嘉久吉こと 小田角吉

被告 斎藤馨泉こと 斎藤英明

被告 学校法人 林昌学園

右代表者理事 斎藤英明

右三名訴訟代理人弁護士 加藤勇

主文

一、被告小田は原告らに対し、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各山形版、山形新聞及び荘内日報の各日刊紙に、二段八糎幅で、表題及び末尾氏名は四号活字、本文は五号活字をもって、別紙第一記載の広告文による広告を各一回掲載せよ。

二、被告小田は、原告すゑのに対し金三〇万円、原告巴に対し金六〇万円及び右各金員に対する昭和四六年二月一一日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

三、原告らの被告小田に対するその余の請求及び被告斎藤ならびに被告学校法人林昌学園に対する各請求を棄却する。

四、原告らと被告斎藤及び被告学校法人林昌学園との間のみに生じた訴訟費用は原告らの連帯負担とし、その余の訴訟費用は、これを五分し、その一を原告らの連帯負担とし、その余を被告小田の負担とする。

五、第二項に限り、原告らにおいて共同で金二〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

原告ら訴訟代理人は「一、被告らは原告らに対し、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各山形版、山形新聞及び荘内日報の各日刊紙に、二段一二センチメートル幅で、本文は五号活字、その他の部分は三号活字として別紙第二の謝罪広告文案のとおり謝罪広告を各一回掲載せよ。二、被告らは連帯して、原告山村すゑのに対し金一〇〇万円、原告山村巴に対し金二〇〇万円及び右各金員に対する本件訴状送達の翌日以降各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。三、訴訟費用は被告らの連帯負担とする。」との判決並びに第二項につき仮執行の宣言を求め、被告ら訴訟代理人は「原告らの各請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求めた。

原告ら訴訟代理人は、請求の原因として

一、原告すゑのの夫の原告巴の父である山村省三は、美術骨董品の販売を業とする商人であったが、省三は昭和四六年一〇月三一日死亡し、原告すゑのは三分の一、原告巴は三分の二の相続分により、省三の権利を相続承継し、かつ原告両名が右営業を承継して継続している。

二、被告小田は美術骨董品の販売を業とする商人であるが、同被告は随筆集「虚中庵饒舌」を発行することを企て、昭和四四年七月これを被告斎藤に相談したところ、被告斎藤はこれに賛成して序文を執筆掲載することを承諾したのみならず、その発行及び印刷を被告斎藤が理事長をしている被告学校法人林昌学園において引受け、同学園出版局をして印刷せしめて被告斎藤執筆の序文が掲載されている「虚中庖饒舌」三〇〇部を上梓し、これを酒田市役所、酒田市立光丘図書館、或は酒田市内の各書店、その他国内の美術骨董品愛好者の間に広く無償で配付した。

三、同書には一七頁三行目から一八頁三行目にかけて左記の被告小田執筆の記事が掲載されている。

この藤井君が酒田の山村という商人から、古書画一口で十点ほどの出物だと話されて、これを全部買い入れ急ぐその足で上京して平山堂の高橋さんに見せたところ、さすがの高橋さんも吹き出してしまったという。十日ほど前に山村が平山堂に立寄ったとき、高橋さんが古書画の偽(ぎ)物を一揃物として売ってやったそれであった。とにかく山村という男は今すぐばれるようなことでも利金さえ得れば一向に平気なもの。さすが人のよい藤井君も仕入れ値の五倍ほどで有り金も無理して買ったのであった。この円満居士もすぐ酒田に戻って来て交渉におよんだが、急払いのことがあっていま金は手元にないから、ほかに売ってもらいたいと申していつかな承知しなかった。知人の池田円蔵が仲にはいって交渉したのだが、山村は金を握れば容易に放さぬ心蔵男であるため、後には藤井君もあきらめどこかへ捨て値で売ってしまったことがあった。

晩年には中風にかかり、秋田県五城目の客人のところで病を養い、五年ほど病床にあったが二十二年秋に歿した。この病人をあつかった客人夫妻も良い人で、家族みんな親しく実父のごとくに、この円満居士をあつかったのは語草中の一美談となっている。

四、右記事は、すべて事実無根の捏造記事である。のみならず、右記事のうち「とにかく山村という男は今すぐばれるようなことでも利金さえ得れば一向に平気なもの。」及び「山村は金を握れば容易に放さぬ心蔵男である」との記事は、故なく省三の人格を誹謗して名誉を傷つけ、信用を毀損する悪質極まるものである。

五、特に美術骨董品を取り扱う商人にとって信用は何物にも換え難い貴重なものであるが、省三は大正一一年以来美術骨董商を営んで五〇年の長きにわたり酒田市を中心として山形、秋田、新潟の各県及び東京都一円に広く得意先を有し、堅実に営業してきたところ、前記記事により甚大な打撃を被り、名誉、信用を毀損されたこと筆舌に尽し難い。

六、被告小田が右記事を掲載する「虚中庵饒舌」を作成配付して省三の名誉信用を毀損したのは故意による不法行為である。

被告斎藤は右記事のある同書の発行に賛同し、同書の内容、価値を読者に推賞する序文を掲載し、前記記事の信用性を高め、事実無根の誹謗記事を真実なるものと読者を誤信せしめるに寄与し被告林昌学園は、印刷業をも営む学校法人であるが、右記事を印刷発行し、広く配付せしめたものであり、いずれも故意による共同不法行為者でる。

仮に被告斎藤及び被告林昌学園に故意がないとしても、被告斎藤は同書の刊行に賛同し序文を掲載するに当り、被告林昌学園は代表者斎藤英明においてその印刷発行を引き受けるに当り、その内容を一読するならば省三に対する前記誹謗記事の存在を当然発見できた筈であるから、これを一読もせずに、あるいは一読しても誹謗記事あることに気付かずに、それぞれ発行に賛同してあるいは序文を掲載し、あるいは印刷発行を引き受けた点に過失があり、不法行為の責任を免れない。

七、被告らの右不法行為により省三の毀損された名誉を回復するため、被告らは共同で別紙第二記載の謝罪文広告をなす必要があるとともに、連帯して省三に対し慰藉料として金三〇〇万円を支払うべき義務があり、右各義務の履行を求めるため本訴を提起したものであるが、その後省三死亡により、相続人たる原告両名が右名誉回復請求権を承継し、右慰藉料請求権は相続分に応じ原告すゑのにおいて金一〇〇万円、原告巴において金二〇〇万円に分割して承継取得したものである。

八、被告らは名誉回復の請求権を一身専属的権利であって相続性を有しない旨主張するが、一身専属権とは、法が一定の身分を有する者にのみ行使させる趣旨で認める権利であり、名誉を毀損された者の回復請求権は、これをその者の死後相続人に行使させても不都合はなく、被相続人の意思にも合致し、その行使の時期を生前に限定する合理的理由はないから、一身専属権には該らないものである。制定法上も、刑法二三〇条は死者の名誉を毀損する行為を処罰の対象とし、著作権法一一六条一項は遺族が死者の名誉の回復を求め得ることを明定している。

と述べた。

被告ら訴訟代理人は、答弁として、

一、請求原因第一項中、営業の承継の点は不知、その余は認める。

二、同第二項の事実中、被告小田が美術骨董品の販売を業とする商人であること、同被告が随筆集「虚中庵饒舌」の発行を企てたこと、同被告の依頼に応じ被告斎藤がその序文執筆掲載を承諾したこと、被告斎藤が理事長をしている被告林昌学園において被告斎藤執筆の序文が掲載されている右随筆集の印刷を引受け、同学園出版局が三〇〇部印刷したこと、被告小田が酒田市立光丘図書館、酒田市内の書店(但し一店のみ)、その他美術骨董愛好者に無償で配付したことは認める。その余の事実は否認する。被告小田が同書の発行を被告斎藤に相談したことはなく、被告林昌学園は同書の印刷を引受けたのみで、発行を引受けたことも配付をしたこともない。同書の発行者及び配付者は被告小田だけである。

三、請求原因第三項の事実は認める。

四、同第四項は争う。

五、同第五項中、亡省三が美術骨董商であったことは認めるが、その余は不知。

六、被告らの故意過失及び不法行為責任の点は争う。

七、被告林昌学園は、短期大学、高等学校、専門学校各一校を経営しており、一部局として出版局を設け、ここで右各校で使用する印刷物を印刷するほか、外部からの注文に応じて印刷製本の業務を行っていた。

被告小田は、被告林昌学園の理事長の地位にある被告斎藤個人との間に、書画骨董類の商売を通じ四〇数年前より交際があり、昭和四四年春頃被告斎藤に対し、被告小田の画商五〇年の体験談を一冊の本にまとめたいと思うので、その序文を書いてほしい旨依頼し、被告斎藤より承諾を得るとともに、前記のとおり印刷製本業務を行っている被告林昌学園に対し、印刷製本を注文した。

かくて被告小田より本文の原稿が、被告斎藤より序文の原稿がそれぞれ被告林昌学園に交付され、これにより被告林昌学園において印刷製本されて「虚中庵饒舌」が完成したものである。この本は被告小田の自費出版で、著者発行者ともに被告小田であり、虚中庵は同被告の雅号である。

八、被告林昌学園は単に右書籍の印刷製本を担当したにすぎず、被告斎藤は被告小田の本文原稿完成前に序文を作成したもので、いずれも故意のないことは明らかである。

被告林昌学園が被告小田の注文により担当した印刷製本の業務は、原告の文字を忠実に活字に写植し、本としての体裁を整える機械的なものでしかなく、業務者には、原稿内容を読み、それが他人の権利侵害に当るか否かの判断をしたうえで印刷製本をしなければならない注意義務はない。短時間に機械的処理を行う印刷業務に右の注意義務を要求することは社会常識にも反し不能を強いるものであり、また注意義務違反の有無を判断するについては一般を標準とすべきものであるから、被告林昌学園には過失はない。

原告らは、被告斎藤が序文を掲載するに当り本文内容を一読する注意義務があると主張するが、序文といっても千差万別であり、著者自身の書く序文も、他人の書く序文もあり、その内容も、必ずしも本の内容、価値を推賞、推せんするためのものとは限らない。本件の序文は、書籍としての体裁を整えるためのもので、内容的には、どんな本ができ上るかについて将来への被告斎藤の期待の気持を表わしたにすぎず、推賞、推せんの表現はとられていない。「虚中庵饒舌」のような随筆的な非売品の書籍についてはもともと推賞も推せんも必要がなく、このような本について前記のような将来への期待を書く表現の序文を掲載するに当っては、著者の本文内容に一読を加える注意義務はないから、被告斎藤にも過失はない。

のみならず、被告斎藤の序文掲載行為と山村省三に対する名誉侵害結果との間には因果関係がない。

九、原告らは、本訴において亡山村省三の名誉回復のための謝罪広告を請求しているが、名誉は人格権の一種として非財産的一身専属的権利であるから相続性がなく、省三の死亡により、名誉回復の処分は求めることができなくなったものである。このことは民事上死者に対する名誉毀損の不法行為が成立しないのと同一の法理によるものである。そこで右請求は、訴の利益を欠くとともに請求権も存在しなくなったものであるから、却下もしくは棄却さるべきである。

仮に相続性があるとしても、「虚中庵饒舌」が配付された部数は多くとも三〇〇部程度で、省三死後の現在では配付を受けた者の大部分が事件を忘れ去っているものと推定され、今更多数読者のある新聞に謝罪広告を掲載することは眠っている子をさますようなものである一方、逆に被告小田は大きな不利益を受けることになる。かような場合には謝罪広告の必要性がないものとして請求は棄却さるべきである。

一〇、原告らは省三の慰藉料として金三〇〇万円の賠償請求をしている。古書画取引の実情では偽物と真物の割合は九対一にも達し、このことは古書画の取引通念であり、古書画の買手も或程度心得て取引している。山村が偽物を売りつけた点の記述自体は若干表現が悪かった程度であり、名誉、信用を大いに侵害したとはいえないから、右請求金額の点で超過大請求である。

と述べた。

(証拠関係)≪省略≫

理由

一、次の各事実は当事者間に争いがない。

原告すゑのの夫で、原告巴の父である山村省三(亡原告)は、美術骨董品商であったが、昭和四六年一〇月三一日(本訴提起後)死亡し、原告すゑのは三分の一、原告巴は三分の二の相続分により、省三の権利を相続承継した。

被告小田も美術骨董品商を営んできた。

被告小田は、「虚中庵饒舌」と題する随筆集の発行を企画し、昭和四四年(原告らは七月頃と主張し、被告らは春頃と主張する)これに掲載する序文の執筆を被告斎藤に依頼し、被告斎藤はこれを承諾してその序文を執筆した。

被告斎藤が理事長の被告学校法人林昌学園は、右随筆集の印刷を引受け、、同被告の一部局である同学園出版局において、前記序文のある単行本「虚中庵饒舌」三〇〇部を印刷した。

右「虚中庵饒舌」には、被告小田執筆の本文一七頁三行目から一八頁三行目にかけて原告主張(請求原因第三項)の記事がある。

同書は酒田市光丘図書館、酒田市内の書店一店、その他美術骨董愛好者らに無償配付された。

被告学園は印刷業をも営んできたものである。

二、被告小田が右随筆集の発行及び配付をなしたことは、同被告において認めるところである。

被告林昌学園が短期大学、高等学校、専門学校各一校を経営するほか、所属の出版局において右各学校使用の印刷物の印刷以外に、外部からの注文に応じ印刷製本をする業務を行ってきたものであるとの被告らの主張の事実は、≪証拠省略≫によっても認められるものであるが、明らかに原告らにおいて争わないところである。

三、(被告小田の責任について)

≪証拠省略≫によると、本件で係争の記事は、本文のうちの「藤井老人」と題する項目の記事で、昭和二二年秋に故人となった藤井金次郎なる好人物の書画商の人柄と逸話を好意的に紹介した文章の一部であることが認められる。

本件記事は要するに、藤井が酒田の山村なる商人に欺されて古書画の偽(ぎ)物を高額の代価で売付けられた出来事を主題とするものであり、山村を貪欲、無恥な悪徳の書画骨董品商として露骨に表現する文章であるが、≪証拠省略≫によれば、右文中の山村は省三を指すものであること、≪証拠省略≫によれば、酒田には省三のほかに山村なる書画骨董品商は居ないことがそれぞれ認められ、したがって、「虚中庵饒舌」の配付を受けた古書画愛好者等の読者には、右文中の山村が省三を指すものであることを容易に判断できるものと認められる。

成立に争いのない乙第五、六及び八号証(いずれも被告小田を被疑者とする刑事事件における捜査官に対する同被告の供述調書)及び当事者本人尋問における被告小田の供述では、右記事の内容は昭和一〇年頃の真実の出来事であり、このことは当時藤井及び訴外池田円蔵の両名から聞いて日記にしたためていたが、右両名共すでに死亡し、日記も戦災で焼失したので、記憶のみに基いて執筆したというのである。しかし、右記事中に「平山堂の高橋」として書かれている証人高橋清作は、右記事の内容は全くでたらめで、同人に関する右記事内容のような事実はない旨証言していること、被告小田がこれを真実とする根拠を自身の記憶以外に示すことができず、他に裏付けとするに足りる証拠のないことを総合すれば、本件係争の記事内容の出来事は事実無根と断定するほかはない。

また、被告小田本人尋問の結果によれば、本件記事中の省三の人物評価に関する表現も大いに誇張したものというのであるから事実に反する表現と認めることができる。

したがって、被告小田は、本件で問題の記事において省三に関する事実無根の出来事を記述し、さらに事実に反して省三の人格を甚だしく誹謗する言葉を用いることにより、省三を信用できない悪徳の商人として表現し、この記事を多数人に配付することにより、省三の名誉(信用を含む)を毀損したものであるから、省三に対する不法行為者としての責任を負うものというべきである。

四、(被告斎藤及び同林昌学園の責任について)

被告斎藤及び同林昌学園が、それぞれ、みずから「虚中庵饒舌」の発行及び配付につき、被告小田と共同しまたは単独で、これをなしたとの点については、これを認めるに足りる証拠はない。

≪証拠省略≫によれば、同書は被告小田が単独で発行し、かつ配付したものであることが認められる。すなわち、右各証拠によると、被告斎藤は、宗教法人林昌寺住職と被告林昌学園理事長を兼ねるものであるが、被告小田から書画骨董の類を買受けていた関係で昭和の初め頃より被告小田と交際していたところ、被告小田から同被告の美術商五〇年の体験談を著書にまとめることの企画を聞き、その序文執筆を依頼され右企画に賛成して序文の執筆を承諾し、昭和四四年七月、未だ被告小田の本文原稿が作成されないうちに序文原稿を作成したこと一方被告小田は、右著書を自費出版すべく被告林昌学園の出版担当者であった出版局長訴外斎藤淳明に交渉して被告林昌学園にその印刷製本を注文し、同年夏以降二回に分けて本文原稿を同局担当職員に交付し、その後印刷作業中にみずから校正を施したものであること、かくして同年末頃同局において印刷製本を完成したB六版二三七頁の「虚中庵饒舌」三〇〇部全部は、同局から被告小田に引渡され、同被告により他に配付されたものであること、被告林昌学園代表者でもある被告斎藤は、昭和四五年二月初頃、省三から本件記事のことを聞いて初めて同書を読み、その内容を知ったこと、斎藤淳明ら被告林昌学園出版担当職員は、原稿の記事内容につき審査、検討を加えることなく、機械的に印刷製本を施行したこと、以上の事実を認めることができる。

もっとも、被告斎藤は、被告小田の美術商五〇年の体験談を著書にまとめて自費出版することに賛成したうえ、序文を執筆提供し、被告林昌学園は、被告小田の注文に応じて印刷製本をなしたのであり、それぞれ被告小田の不法行為を構成する事実行為の一部に関与したものである。

被告斎藤及び被告林昌学園の右関与行為が、それぞれ省三に対する単独の不法行為になるためには勿論のこと、被告小田との共同不法行為になるためにも、それぞれ不法行為の構成要件を備えなければならないものである。

(被告斎藤について)

被告斎藤が出版に賛成し、序文を執筆するに当り、「虚中庵饒舌」の本文に前記のような記事があって、これが配付されることにより省三に対する名誉毀損の結果を生ずるであろうことについて、同被告がこれを知りながら、あえて出版に賛成し、序文執筆をなしたことを認めるに足りる証拠はない。

また、いやしくも書画骨董品の商人として五〇年もの社会生活を営んできた者であって、その体験談を著書にまとめることを実行できる社会人である以上は、平素いかに辛辣な批評の言を下す人物であっても、健全な社会常識を有する者として、その著書において生存中の他人に対する事実無根の記事と誹謗の言葉をもって、しかも本件のように実名を用いる等の方法で、その他人が誰であるかについて読者の知り得る文章に表わしてその他人の名誉を毀損することは、通常人の予想できないところであり、被告斎藤が被告小田から、その美術商五〇年の体験談を著書にまとめる企画を聞き、序文執筆の依頼を受け、賛成、承諾して序文を執筆するに当り、被告小田が本文において本件記事を掲載するような非常識な行為に出るであろうと予見することができたものと認めるべき特別の事情は、証拠上認められないから、被告斎藤の前記関与行為については、省三に対する名誉毀損の結果について故意も過失もないものというべきである。

原告らは、被告斎藤が序文執筆前に本文内容を一読すれば、名誉毀損の結果を生ずべきことを知り得たのに、一読もしなかった点に過失があると主張するが、一般に、序文執筆者に事前に本文を一読、検討すべき注意義務はないのみならず、≪証拠省略≫によると、同被告の執筆した序文の内容は、被告小田と知り合い交際を続けてきた経緯及び交際を通じて知り得た被告小田の人柄の紹介を主とし、本文に関連するものとしては、序文末尾に至って僅かに、被告小田の画商五〇年の体験を基礎とし鋭い感情を通しての表現は「定めし貴重なものがあると大いに期待する」旨書かれているだけで、それ自体から、本文内容を読む前に執筆された序文であることが判断できるものであり、同時に、なんら本件の記事内容が真実である旨を表明している点はないから、かような序文を執筆した本件においては、事前に本文を一読すべき注意義務はなく、この点の過失も存しないものである。

のみならず、省三に対する名誉毀損の被害結果は、「虚中庵饒舌」中の被告小田執筆の本文における前記の問題の記事によるものであり、前示のような内容の序文により、通常の事態では被害が発生したり加重されたりすることは考えられず、また現実に本件序文による被害の発生、加重の事実は認め難いので、被告斎藤の序文執筆行為と省三の損害との間には相当因果関係を欠くものである。

(被告林昌学園について)

被告林昌学園は、注文者から提供される原稿に基き印刷製本をなす業務を営む者であるから、その印刷製本に係る著作物の内容をなす現存する他人の名誉を毀損すべき記事により、その他人に生じた名誉毀損の損害について、同被告に不法行為責任を負わせるためには、故意または印刷製本業務者一般を基準とする注意義務に反した過失あることを要するものである。

本件においては、被告林昌学園(代表機関)に故意のあったことを認めるに足りる証拠はなく、同被告が被告小田から印刷製本の注文を受けた著作物は、被告小田の書画骨董品商五〇年間の体験を主題とする一種の随筆集であることは、受注に当り、被告林昌学園代表者である被告斎藤の知っていたところであるが、五〇年間の商取引経験を有する者として通常十分な社会常識を備えているものと判断して然るべき者から、右のような長年の体験に基く随筆集であるとして原稿を提供され、その機械的な印刷製本の作業を注文された印刷製本業者としては、一般には、その内容において現存する他人の名誉を毀損するものがあろうことを疑ってその原稿内容を審査したうえ、受注の可否を決すべき注意義務はないものというべきであり、本件においては、被告小田執筆の原稿に他人の名誉毀損を招来すべき内容あることの疑いを抱かなければならないような被告林昌学園代表機関の知りまたは知り得べかりし特別の事情も証拠上認めることができない。

また、印刷製本業務それ自体は、一般的に他人の名誉を毀損するおそれのある危険な業務であるとは認められないところであり、本件係争の記事は、山村なる商人の社会的に非難さるべき行状の記事を含むものであるが、それは晩年永い間病床にあり昭和二二年死亡した藤井なる老人の壮年期以前の逸話におけるもので、第二次世界大戦前の出来事で、昔話に属することは、当該記事自体から明らかに判断されるところであるから、原稿の文字を忠実、迅速に活字に組み紙面に顕出する印刷工程において、印刷工等の補助者を通じて被告林昌学園が、現存の他人に対する名誉毀損の結果を認識、予想できたものということもできない。

したがって、被告林昌学園には、故意も過失もないものというべきである。

以上のとおり、被告斎藤及び被告林昌学園に対しては、不法行為の責任を負わせることができない。

五、≪証拠省略≫によると、「虚中庵饒舌」は、庄内地方を主として相当部数が山形県内に配付され、その他は北は北海道地方から南は東京名古屋方面にも配付されたこと、同書発行後間もなく昭和四五年一月頃本件記事の内容を知った省三は、大いに憤慨し、商売上の信用にもかかわることとして被告小田に対し刑事上の告訴をし、この紛争は新聞(荘内日報)紙上にも報道されたこと、省三はもと表具師で大正年間より酒田市で美術商を兼業していたが、昭和二八年頃より店舗を構えないで美術商を専業としていたものであり、省三の死後同人の右営業は妻子である原告両名が承継して営業を継続していることがそれぞれ認められる。

六、以上の各認定を動かすに足りる証拠はない。

七、前示のとおり、省三に対する本件名誉毀損の結果による損害については、被告小田が不法行為責任を負うものであるところ、原告らは慰藉料の支払と併せて謝罪広告を求めるものである。

右の損害は省三の営業に関連する名誉毀損によるものであり、現に省三を相続した原告らが右営業を継続しているものであるから、被告小田の加害の態様及び省三の被害の態様と結果及びその後の経緯に徴し、被告小田は慰藉料の支払のほか、併せて民法七二三条に基き、広告の方法による名誉回復の措置を講ずべき必要があるものというべきである。

同被告は、名誉は人格権の一種として省三の一身専属的権利で相続性はないので、省三の死亡により消滅し、その回復のための処分請求権もなくなり、またこれを行使する訴えの利益もないと主張する。

しかし、同条による名誉回復のための処分の請求は、損害賠償の一方法として財産権上の請求に属するものであり、一身専属的なものではないから、人格権である名誉についても、被害者の死亡前に一旦これが侵害されて損害を生じた以上、必要ある限り、財産権上の請求として死後においても相続人より適当な処分の請求権を行使することを妨げるものではなく、また訴えの利益のあることも勿論である。事後の被害者の死亡は、処分の必要性の有無及びこれに関連する処分内容の当否に関する一個の事情であるにすぎない。

そこで、省三死亡の点も含め、前記の各事情を綜合して名誉回復の必要性に応ずる適当な処分として、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞の各山形版、山形新聞及び荘内日報の各日刊紙に、二段八糎幅で、表題及び末尾氏名を四号活字、その他を五号活字をもって別紙第一記載の広告文による広告を各一回、被告小田をして掲載広告させるのが相当である。

そして、省三の財産外の損害の賠償として被告小田より支払うべき慰藉料の金額は、以上の諸般の事情及び前記広告をさせるべきことを綜合考慮し、金九〇万円をもって相当と認める。

省三の被告小田に対する右慰藉料請求権は、相続分に応じ、原告すゑのにおいて金三〇万円、原告巴において金六〇万円に分割して取得したものであるから、同被告は、右各原告に対し、右当該金額及びこれに対する(原告ら請求に係る)本件訴状送達の翌日たること記録上明らかな昭和四六年二月一一日以降各完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務がある。

八、よって、原告の本訴各請求は、被告小田に対する前記の相当と認める処分の限度ならびに慰藉料及びこれに対する遅延損害金の支払請求の限度において、正当として、これを認容すべく、同被告に対するその余の請求及び被告斎藤及び被告林昌学園に対する各請求は、いずれもこれを失当として棄却すべきものとし、民訴法八九条、九二条、九三条一項但書、一九六条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 渡辺惺)

〈以下省略〉

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